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正々堂々北朝鮮の国旗です

世界一異常な空間



〜板門店〜

国連の旗を使用したアメリカの奴等




*写真下 板門店迄に何度も通るゲート 
有事の際はすぐに爆破できるようにしてある

嬉し恥ずかし板門店


板門店・・・・

開城市から南へ更に8キロ行くと板門店がある。
ここは240キロに亘る南北の境界線の中で、唯一開いている場所だ。
それ以外は全て、高さ5−8メートル 幅10−19メートルのコンクリート障壁によって完全に分断されている。

同一民族がある日を境に敵味方として殺し合うようになった。
板門店はその唯一の接点である。

世界で最も異常なこの空間を、過去に南側から訪れた友人の話を聞いたことがあった。

「まず、Gパン・Tシャツ・スニーカー・ミニスカートとかは絶対ダメ。
北朝鮮側が、ミニスカートを履いている写真を撮って
”奴等は布を買うお金さえない” と宣伝するわけ。
手を挙げたり振ったりしても絶対アカン。

”豊かな北に亡命を求めてる”と言われてしまうから。

ツアーの最初に”何があっても、命を落としても文句は言いません”と一筆書かされる。
板門店会議場には、真ん中に幅50㎝のコンクリートブロックが並べてある。
それを一歩でもまたぐと北朝鮮や、凄い緊張感やから大声を出してもイカンし、写真ももちろん撮ったらダメ。
一日中北側のスピーカーからハングルで
”南朝鮮のみなさーん そんなとこで なにしてるんですかー こっちは、いいとこですよー  たべものもいっぱいあるし そんなところにいないで  こっちへ いらっしゃーい」”って 大音響が流れてくんねん」 

話を聞けば聞くほど、若き日の人民兵はその「板門店」とやらに興味をそそられた。

 

とにかく、我々はまさにその板門店に近づこうとしていた。

ほどなく車は四つ目の検問を通り抜けた。

時々左右に巨大なコンクリートの壁があるのを見た。
地面に接するところが「足」のように細くなっているのは、有事の際、爆破してすぐに道を封鎖するためだろう。

しばらくして前に物々しい鉄条網があり、右手に建物が見えた。
ここで一旦車を下ろされた。右手にあった建物で、板門店の模型を見て説明を聞いた。
併設してある土産物屋で板門店バッジ(0.5ウォン=30円)を2〜3個買った。

この先の道は軍人の運転する別の車に乗らなければならない。
運転手を含めて三人の軍人と車に乗り込み、鉄条網を越えて、厳戒な非武装地域に入る。
このものものしい非武装共同警備区域の中に、驚いたことに普通に農村があった。
きっと彼等はこの土地を離れる権利なんてないんだろう。いわば「弾除け」みたいなものだ。

板門店と一口にいっても、その指し示す範囲はかなり広く、中央の軍事境界線(=国境)を挟んで、 南北それぞれ二キロずつの非武装地域を持っている。当然の事ながら、南から北、北から南の行き来は基本的に出来ない。 その幅たった五〇㎝、高さ七㎝のコンクリート製軍事境界線が両国の悲惨な歴史を物語っている。

有名な板門店会議場はその真上に、つまり国境をまたいで建てられたかまぼこ庁舎である。
その会議場の中にテーブルが置いてあり、ど真ん中に設置されているマイクのコードが国境になっているらしい。
それを見るのは非常に楽しみだ。

停戦会議はここで行われました (*写真右 1953年に朝鮮戦争の停戦会議が開かれた会議場。北側の陣内にあります)

北からしか入れない停戦会議場、停戦協定調印場に行く。
テーブルに当時のままに、古くなった北朝鮮旗と国連旗が置いてある。

「アメリカ側が国連旗を盗用した」と北朝鮮は今も主張している。 

(*このページのタイトル左右に貼った写真は、 停戦会議当時そのままに現在まで残っている両側の国旗)

そして、私は初めて朝鮮戦争(1950−1953)が”終わっていない”ことを知らされた。
事実、両国の間には”停戦”はあっても”終戦”はされていない

板門店会議場に近づいてきた。最も危険な地域である故に、カメラには細心の注意が必要だ。
「ここは撮ってもいい」と言われるまで、カメラには触らないようにした。
もうすぐ板門店会議場だというところに、馬鹿デカイ石碑があった。

長さ九.四メートル、幅7.7メートルの花崗岩の石碑に
「一九九四年七月七日 金日成」
という意味のハングルが書いてあるらしい。

金日成主席最後の自筆そのままの親筆碑なんだそうだ。
「(くっだらねー)」と思っていたら、ミンさんが
「では、ここで写真を”撮ってください”」と言った。
それが無性に面白かった。


*写真下 金日成の最後の自筆のサインを拡大したらしい・・・
これってホントどうでもいいもんですよねー

板門閣という建物のテラスに上がる。ここは板門店会議場を一目でみわたせる場所にあり、向かいには南 朝鮮、つまり韓国の”ピースハウス”が同様にそびえている。その間に、確かに国境をまたいで七棟のかま ぼこ庁舎が並んでいる。四棟が南、三棟が北の統轄らしい。正面のピースハウスまでの距離は約五〇メート ルくらいか。  

するとその時、あちら側に団体客がいるのが見えた。向こうもこちらに気付いているようだ。

「○×○×○×○×・・・」何か話している・・・「?」・・・・日本語らしい!!!!

オレハ、ココニイルゾ!!! 日本人が、ワタシがここにいることをどうしても知らせたい気持ちがメラメラと湧いてきた。 

やっとのことで叫びだしたい気持ちは抑えたが、

日本人観光客が韓国側に!! 誰かこの日あちらにいた方をご存知でしたら是非人民兵までご一報ください この厳重警戒地域で 思いっきり手を振ってしまった。

「それは止めて下さい!」隣にいた軍人が私を睨みつけ、ガイドのミンさんが鋭い口調で私に注意した。
しかし、私が動く度にあちら側では笑い声が起こる。
双眼鏡かなにかで、こっちを見ているらしい。

「では、戻りましょうか?」とガイドが言った。

「え? 板門店会議場は入れないんですか?」、聞き間違いかと思った。

「ええ、今日はアメリカ側の都合で、共和国のゲストの方は入れないようです

そこに入るためにここまで来たのに。ここで帰るなんて悔しすぎる。

その時ふと私は、南つまり韓国側に向かって走りだしたい気分に駆られた。
行きたい、今すぐあちらに行きたい、どうしても行きたい
そんなことが出来るのだろうか? 早速ガイドに尋ねてみた。

「すいません、金さん! もし私がここからあちら側に走ってあの国境をまたごうとしたらどうなりますか?」

「はい蜂の巣です」

がっくりと肩を落とした一行は、南側にはためく幅一〇〇メートル、それに対抗した北側の幅一六〇メートルという両国の巨大な国旗を背に引き返した。

三ヶ月後の一九九九年一月、私は南 つまり韓国からこの板門店を訪れることになるのだが、その事は次回、北朝鮮特別編で詳報したいと思う  

〜北朝鮮旅日記(続続々編)〜

 



 







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初版:2001年11月31日、