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楽しうて、やがて悲しき少年宮殿



万景台学生少年宮殿に行く・・・

平壌の中心部から西へ12キロメートル、万景台と呼ばれる場所にこの建物はある。
因みに、ここ万景台には金日成主席の生家があり、3000万朝鮮人の心の故郷・革命の揺りかごと称されている。
「♪ うつくしーいー 万景台(まんぎょんで)ー ふるさとのいえー みんなで唄いましょう ♪ 首領さまのー 生誕地ー」
という歌が 幼稚園・小学校で広く歌われている。

*お土産の北朝鮮切手、光る金日成の下にはマンギョンデーの生家が・・・
美しいマンギョンデー ♪ 将軍様のー 生誕地ー
 

清河川の水泳で濡れた体を車内で乾かしながら万景台に向かった。
車を降りて建物の正面にたつと、毎度のことながらその大きさに驚かされる。
延べ10万平方メートルの敷地に 百数十のサークル室、二千席の劇場、テコンドー体育館、 四面ある応援席付きの室内バスケットコート、 高さ10メートル以上の飛び込み台がある50メートルプールなどがすっぽりおさまっている。  

他に金をかけることがないのか、この国の建造物はなかなか壮観だ。
金正日は、秦の始皇帝かなんかに影響されているのだろうか。
一例として、チュチェ思想塔の前にある人民大学習堂という図書館は床面積延べ10万平方メートル、 10棟からなる10階建ての建造物で、3000万冊の蔵書に15の閲覧室・14の講義室を誇っている。
席数は5000,収容能力は12000人、一事が万事この調子だ。  

少年学生宮殿の内部を案内してくれたのは、青の制服が可愛らしい美少女。くりくりした目と華奢な腕から、 小学生低学年と思えた。

  ”学生宮殿”というからてっきり 高校生・大学生やらが討論会などをする場所だと思っていた私は、 自分の勘違いに呆れた。
「どうですか?ここではガイドまで子供が自主的にやっているんです」
と男性ガイドのミンさんが自慢げに言った。
いい人なのだが、自慢たらしいのがたまに鼻につく。  

少女の後について建物の中に入った。巨大なロビーで彼女のガイドが始まった。
「ウリナラ XXXX 、キムイルソン XXXX 、 ウリナラ XXXX 、キムジョンイル XXX X 、ウリナラ・・・・キムイルソン・・・ウリナラ・・・」

大きな声でハキハキと説明してくれる。話が一段落したところで、ミンさんが通訳してくれた。
ついでに尋ねると「ウリナラ」というのは「我が国」という意味らしい。
彼女のあまりのウリナラぶり(?)が少し可哀想だった。  

何カ所かに立ち止まって、その都度説明してくれた内容は

「こちらはですね、敬愛する金日成主席さまがですね、私達の活動をお誉めになり、下さった大きな時計なんですよ」
「こちらはですね、親愛なる金正日総書記さまが、私達のステージをご覧になられ、ご褒美に下さった噴水の模型なんですよ・・・」
「こちらはですね、1997年の11月13日に金正日総書記様が私たちのために・・・」
といったものだった。  

”国の宝である子供達が才能を伸ばせる施設を作ろう”
という金日成主席のかけ声とともに、こういった施設が全国に作られたらしい。

そんな説明を聞きながら奥に進んだ。
そこからは学校の廊下のような作りで部屋が並んでいた。


つらくても笑顔で踊ります (*写真右 踊る少女達 逆光で失敗写真)

「さあ」と促され最初の部屋に入る。
するといきなり、朝鮮伝統音楽らしい調べが部屋中に流れはじめた。 それに合わせて、部屋の中央にいた10人くらいの少女が一斉に踊りだす。
チマ・チョゴリのピンクも鮮やかに、手首をくねらせ、首をひねる、くるくると回り、手を打ちならし、 ステップを踏む。どの子も笑顔は決して絶やすことがない。 唖然とさせられるのは、その揃いかたで、 一人の人間が10人に分かれたのではなかろうかと思うほど、よく揃っている。 笑顔の下に涙ぐましい努力があることは容易に想像がつく。
顔で笑ってはいても殆どの少女の膝から下はアザだらけだった。  

演奏はホンの5分ほどで終わった。
飽きさせない時間配分だろう。一生懸命拍手しながら、私は少し泣きそうになっていた。
人間に出来る筈のない動きを、少なくとも自由を知った人間には絶対出来ない動きを少女達はしていた。 「それ」を彼女たちがしていることが可哀想で可哀想で・・・ しかもここでは

”子供達が己の才能を伸ばすために自発的に”活動しているのではない。

私達が部屋に入った瞬間に演奏が始まったことからもわかるように、
外国人に対する国威掲揚の為に子供達が利用されているのが一目瞭然だった。

しかし、北朝鮮が児童の人権を踏みにじってまで、子供達をプロパガンダに利用することと、 彼女たちが見せてくれた踊りの素晴らしさは 決して相殺されるものではない。 この踊りは人民兵の瞼の裏に焼きついた。
これと比べたら能の世界がなんぼのもんなんだ、歌舞伎が一体なんなんや。  

不思議そうにこちらを見つめる少女達に「ありがとう、げんきでね」とつぶやきながら、 ガイドに促されるまでずっと手をたたき続けた。  

次の部屋もその次の部屋も、そのまた次も基本スタンスは 延々変わらなかった。  

ある部屋では朝鮮琴の演奏を、またある部屋では伝統工芸の両面刺繍を行っていた。
その他、テコンドーの練習、バスケットボール、水泳、新体操などのスポーツやオーケストラの部屋、 合唱隊の部屋などなどがあった。 そのいずれもが”我々に見せる”ためだけに行われていて、そのレベルはすさまじく高かった。

各々の行事が我々のためだけに行われていることは、 例えばテレビ中継室で少年の独唱とオーケストラの撮影をしている時に、 我々までステージに上がって、歌っている少年の真横で写真を撮ることが許されていたことからでも分かる。 チビッコTVディレクターは舞台に上がった素人=人民兵に何も文句を言わなかった。  

ある部屋でこんなこともあった。その部屋では20人くらいの子供達が書道をしていた。 流石に天才達が集まっているだけに上手い。

感心していると ガイドのミンさんが
「どうですか森本さん 国際親善に、何か一枚書いてもらいますか?」と聞いてきた。

「いえ、僕は・・・」なんとなく先が読めた私は遠慮することにした。
「どうですか? 農沢さん」 
「いえ、僕も・・・」

彼もきっと何かを感じたんだろう。

しかし目の前には、少女が一人 筆を持って書く気満々で私達の方を見ている。
やはり決まった流れのようだ。ミンさんは少し困った顔をしたが、すぐ気を取り直して

「でも、せっかくだから一つお願いしてみましょう」と言って、少女の耳元で何かささやいた。
少女は大きく頷くと、半紙に達筆で

「  朝 日 友 好  」 

と書いてくれた。決して「日朝」から始まらないその奥ゆかしさに僕らは思わず涙した。

いたく感動した私は それを大阪にいる在日の友人に送った。彼もまた、それをいたく喜んでくれた。
で、その時の写真がこれです。

*ちょーにち ゆーこー!!
北朝鮮のことがチョー好きなんだよねー
 

施設見学の最後に2000人収容のホールで、少年達のステージをみた。
ドラムの天才少年やら・北朝鮮版 美空ひばりの独唱やら・踊りやら。
金のかけ方も半端でなく、舞台の後ろ半分と前半分が左右に流れたり、幾本ものマイクが天井や床から生えてきたり、 何枚ものスクリーンを3次元的効果に使用したり・・・ 

文章でなかなか表現しきれるものではないので、是非行って見てきて下さいとしか言いようがないが、 特に印象に残った一場面を書く。

数十人の少女が、舞台の上で軽やかに舞っていた。
言うまでもないが、そのレベルは前述の通りで文句のつけようがない。
すると舞台のそでから一人の少女が中央に走ってきた。 彼女の周りを取り囲むように 円を描いて舞い始める少女達。
バックのスクリーンが冬山の嵐に変わり、BGM も悲しげに響きだす。
アボジー アボジー(お父様 お父様)」と叫びながら、 先ほどまでとはうってかわって悲しみの舞を踊りはじめた。  

しばし哀しみに沈んだ後、一人の少女が顔を上げた。
それを合図に急遽音楽が明るく変わり、冬山のスクリーンが落とされると 

吹雪の中を戦闘機に乗った金正日のアップ がデカデカと映し出された。
「マンセー マンセー」 リボンを振り回して喜び踊る彼女たちを見て、私は完全にこけてしまった。

ガイドの方に説明を乞うと

「金日成主席がお亡くなりになられてずっと悲しみに暮れていましたけど、 これからは金正日総書記を師・父と仰ぎ頑張ってゆきましょう。そういう意味です」  

満足して少年学生宮殿の外に出た。案内の少女は車までついてきてくれた。
別れ際に何気なく彼女の年齢を尋ねると、驚いたことに13歳だった。
小さすぎる、幼すぎる。彼女の細い手足を見ていると可哀想になった。
年間10万人からの人が餓死していた筈のこの国で、首都平壌に住む特権階級の子弟でも、 食べ盛りにお腹いっぱいご飯を食べたことなどほとんどないんだろう。

*我々を一生懸命案内してくれた少女。彼女はこの幼さで13歳だった
金日成主席様はですね・・・ 金正日総書記様はですね・・・
 

その時ふと、車の中に食べかけのクッキーが半箱残っていたことを思いだした。

この子に何かお礼をしたいと思ったが、果たして半分残ったクッキーを渡すことは礼儀を失さないのか自信がなかった。
迷った末、ミンさんに尋ねると「それは 失礼かもしれないですね」と諭された。

彼女に何もあげられず、少し心残りのまま次の目的地に向かった。
「平均収入が200ウォン(約1万2000円)なら0,8ウォンのクッキーくらい、たまには買えるだろう」そうおもいながら。  

後に中国側国境の丹東という町に抜けてから、このことを猛烈に後悔することになろうとは、この時考えもしなかった。


〜北朝鮮旅日記(続編)〜




 







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初版:2001年11月31日、