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ジョンイル君

北朝鮮旅日記〜後編〜
ジョンイル君





☆二日目:朝のちょっとした出来事



☆国際親善展覧館〜お盆を持って立つワニの剥製



☆最後の部屋にあったものは・・・



でっかい扉はでっかいどー
国際親善記念館の扉 素手で触れてはいけないらしい



二日目:朝起きて・・・    

二日目は抜けるような秋晴れの陽気だった。
7時半にモーニング・コールで鳴るまで眠りこけてしまった。
昨夜は一睡もしないで手紙を書こうと思っていたが、 やはり疲れていたのか1時過ぎには眠ってしまったようだ。
友人宛ての封書やら葉書やらを十通ばかり書いたせいで、指がズキズキと痛い。  

実は昨晩、盗聴器探しに飽きた後、夜にホテルを抜け出して散歩した。
我々の宿泊する妙香山ホテルは山奥に位置しており、深夜ということもあって、人通りも交通も全くなかった。 散歩中に、遠くの小屋に灯りがついて人影が見えたので、近づいて観察しようとした。
すると突然灯りがきえた。
しばらくして灯りがついて、また数秒後に消えて、数秒ついて、数秒消えて・・・
をしばらく繰り返した。停電にはとても見えなかったし、

「誰かに秘密の連絡をとっているのか?」
そうとしか思えないその光の点滅が怖くて怖くてたまらなかった。
農沢君は隣でナイフを握りしめて震えていた。
息を潜めて小屋のすぐそばまでにじりよったが、それ以降なんの動きもなかった。

あれはなんだったんだろう。
数分後、フロントから連絡を受けたのであろう運転手が、凄い形相で車を駆って我々を迎えにきた。
ホテルに戻ってから、冷えた体を温めようとお湯の蛇口をひねってみたが、生ぬるい水しか出なかった。  

八時から朝食、例の寒々としたレストランで冷えた粥を口に運んだ。
昨日も顔を会わせたウェイトレス(二十二歳)と少し話した。
英語は少し分かるようで
「Are you happy?」と尋ねたら「NO」と答えたのが印象的だった。
また「Do you like this country?」
に 「Yes」と答えたのはさらに印象的だった。

今日は過密スケジュールなので、食後すぐに出発できるようにと、
荷物は既にまとめてレストランの横に置いていた。
さて、いざ出発というときに、どこからか現れた小柄なおばさんが
我々に猛然とくってかかってきた。
ハングルで何かしきりにいっている。

私はすぐにピンときた。
というのも今朝、農沢君がホテル備え付けのバスタオルを
「記念に」とバッグの中に入れているのを横目で見ていたからだ。
やはり予想通りで、ごめんごめんと言いながら農沢君が返したバスタオルを受け取って、おばさんはやれやれと帰っていった。

当然このことは金さんの耳にも入ったようで
「どなたかが、バスタオルを持っていこうとされた そうですが・・・」
と尋ねられ、穴があったら入りたい気持ちになった。情けない。  

フロント横の売店で初めての買い物をする。
ポストカードを五枚ほど50チョン(約30円)で買った。
農沢君はかなり分厚いハードカバーの金正日著作本を買った。
もちろん日本語に訳してある。後でよく見ると

「金正日選集 第9巻」

と書いてあった。百科事典ほどの厚みの本に小さな字でびっしり書かれている。
そんなに書いているのか・・・

   (追記)2002年秋、農沢君に3年ぶりに連絡して「金正日全集読んだ?」と聞いてみたら
   「ああ、あれですか・・・ 開いたこともないっすねー」との返事が返ってきた。やっぱりねぇ・・


普賢寺の観光  

さて、一行が車に乗り込みまず向かったのは普賢寺。
チリひとつない道を往く。ホテルのテラスからも見えたが、早朝から人民が道の掃除をするからだろう。 この光景はどこに宿泊したときも普通に見られた。 ほどなく普賢寺についた、朝の9時。  

数えてみると確かに13段あります (*写真右 八画十三重の塔)

この寺は1042年建立の由緒ある仏教寺院で、おもだった史跡が朝鮮戦争で悉く破壊されたこの国では 数少ない旧跡である。
敷地内にある八角十三重の塔がなかなか見事。
秀吉の朝鮮出兵と戦って名を馳せた西山大師を祀った石碑などもある。
だが、私には黒い法衣を着た

住職の胸に輝く「金日成バッヂ」

のほうがずっと気になった。
当たり前のことなので今まで敢えて書かなかったが、私が北朝鮮で見た全ての人は、 左胸に金日成バッヂをつけていた。
そして種々の建物内部随所には、必ず金日成・金正日父子の肖像画が掲げてあった。



国際親善展覧館とは  

チュチェ67年(一九七八年)に開館された朝鮮様式の建物 国際親善展覧館に行った。
ここには世界百五十カ国から金日成同志に進呈された十万余点の贈り物が陳列してある。
 

建物の目の前に立って、その大きさにまた驚かされた。
素手でさわることが許されていない4トンの銅製の扉を(専用の白い手袋着用で)開くと赤い絨毯がしいてある。
天井が高い。入ってすぐ左手の間に通されると、座ったままでも4メートルはある金日成主席の石膏像がこちらを見下ろしていた。
いつものように何故か礼を捧げさせられた後、見学が始まった。  

100メートル以上あろうかという長い廊下の左右に扉が並んでいる。
彫刻が施された黒光りする巨大な扉達は全て一枚板で出来ており、奇妙な威圧感を感じさせる。
こういった扉の向こうには、日本の教室でいうと軽く4つ分くらいの広さの部屋が広がっており、 ガイドによればそういった部屋が合計で150以上あるらしい。

「とても一日では全部見られません」とガイドのミンさんが言ったが、きっとその通りだろう。
贈り物は国別に別れて展示してある。
エル・カダフィ、フィデル・カストロ、ノロドム・シアヌーク、毛沢東、ホー・チミン、チャウシェスク、ミッテラン、チェルネンコ、金丸 信・・・ など名前を見てるだけでも十分に楽しい。
その他にも日本の国会議員や社会党関係者、アントニオ猪木などビッグネームが並ぶ。
名前は知らなくても国家元首クラスからの贈り物が多い。  

この建物に関しては、過去に何度か本で読んだことがあった。
「第3世界からの下らない贈り物を、これでもかと展示してあってとても退屈だ」と。
確かに先進国と呼べるところからのものは日本以外(日本には金日成シンパが多いので)決して多くない。
逆に南米、アフリカ大陸からの贈り物は、旧共産圏と並び質、量ともに群を抜いている。
数万匹の蝶の羽を用いて作成された原色の金日成肖像画や彫刻、調度品それに象牙細工など。
象牙を一本丸々使用したものだけで、数百本から千本の単位で存在しているのではないか。

生前、金日成はアフリカ、南米などの発展途上国に精力的に援助を行っている。
時には経済的に、時には軍事的にそういった国々の面倒をみることは彼一流の政治戦略だった。
特に軍事面では、世界最高の訓練を受けた北朝鮮軍事顧問団が海を越えてやって来て、
軍隊や特殊部隊の指導をしてくれるのだから、そういった国々にはこんなありがたい話はない。
はるばるアジアからの客人を迎えた第3世界の住人が
「初めて先進国が我々を一人前と認めてくれた」
と感謝感激して、金日成シンパになってしまうのも無理はない。
贈り物はその際の副産物ということになる。
そして後日、彼らが北朝鮮を訪ねたとき自国のそれが、立派な博物館に堂々と飾られていることに感激し、 更に素晴らしい贈り物を用意する。
「偉大な領袖 金日成主席の万年長寿」
を心からお祈りするわけである。  

言葉は悪いが、○田○作○代目名誉会長とやっていることは変わらない。  

国際親善記念館です (*写真左 妙香山の国際親善記念館前にて)

しかし、このくだらない筈の展示物が非常によかった。
絵画にしても彫刻にしても、その一つ一つに金日成に対する尊敬の念が溢れているかのようだ。
いくら北朝鮮の実状を知らない国からの物とはいえ、その壮大さ、繊細さ、数の多さにから、
金日成主席が世界中から「敬愛されている」と言っても過言ではないと思ってしまった。

またそれとは別に、普通のカメラやらオマルやら使い古しの草履やらも並べられており、本当に素晴らしい物と心の底から つまらない物を並列するその神経がまた人を感動させる。
全て見終わった後、男性ガイドのミンさんが
「今日は世界一周旅行をしましたね」
と誇らしげに言ったが、各国の文化の差がよく出ており、あながち外れてはいないと思った。


唯一残念だったのは、今回の旅の目的の一つでもあった”お盆を持って立つワニの剥製” (ニカラグアゲリラ(?)の贈り物)の前で写真をとることが出来なかったことくらいだろうか。
展示物の品質劣化を防ぐためか、館内の撮影は禁止されていた。

ちなみに、「どうしてこのワニはお盆を持って立っているんですか?」
という私の問いに、金さんは誇らしげにこう答えてくれた。

「森本さん、ワニというのは邪悪なものですよね。
そんな邪悪なワニでさえも、金日成主席の前では
立ち上がってお盆を持って給仕させていただく、 そういう意味です」




「・・・・・・」



*これが噂のお盆を持って立つワニです*


「はぁ・・・ そうですか・・・ 」




   







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初版:2001年11月31日、