トップ > 北朝鮮メイン > 北朝鮮旅日記(前半) > 農沢君について


農沢君(仮名)について・・・

 
キックボードの旅ですか?歩くよりは若干楽ですかね (農沢談)

*北朝鮮より帰国後、ワーホリでオーストラリアを旅する農沢君。
キックボードで2000キロを走破!! 君は男だ。
  

農沢君とは・・・

結局、唯一人、人民兵と一緒に北朝鮮に行ってくれることになったのは、 一ヶ月前にモンゴルで出会って、北京で偶然に再会した農沢 大介君(18歳)だけ。

大学の後期日程に間に合わせるべく帰路を急いでいた彼をなんとか口説き落とした。  

しかし問題は多々ある。ビザが降りるまで最短でも2週間かかるし、ビザ代8100円と、10パーセン ト値引きしてくれたとしても一人当たり$900の参加費がかかってくる。  

「いいですね。絶対行きましょう!! モンゴルの帰りに北朝鮮に寄って、 結果的に大学留年したってかっこいいじゃないですか!!!」 

それが果たして カッコいいのかどうかはわからなかった が、なんだか農沢君ものってきたようだ。  

「僕、今 日本円もあわせて 多分$700くらいしかないんで、早速 親に送ってもらいますよ」
勇んで国際電話をかけにいった彼はしばらくすると憤慨して戻ってきた。
「親が猛反対してるんですよ。そんなとこに行くためのお金は貸せないというてるんです。」  

それから約3日にわたって、彼 vs 農沢ファミリーの闘いは続いた。   

「あんなあ、近所のXXさんに聞いたら 北朝鮮は鎖国してるし日本人は入られへんてゆうてはるよ、 行って帰ってこられへん人も、ようさんおんねんて。その旅行社ゆうのは ほんまに あんの?  そのモンゴルで会った人(人民兵)は信用できんの?」  

「行ける、大丈夫や!! 人民兵さんは信用できる人や!!」   

「ちょっと待ち!! お父さんにかわるわ」   

「ああ」   

「おい、だいすけ!! 父さんはお前の人生に口出しする気は無いけど、 それだけは思いとどまった方がええんとちゃうか? ・・(クドクド)・・  姉さんにかわるわ」  

「ああ」   

「 ねえ だいすけ・・・お前のこと心配してるお母さん達に、迷惑はかけたらあかんよ・・・ 今回のことでどれだけ・・・  (クドクド)・・・ お母ちゃんにかわるね」  

「ああ」   

「とにかく そんなお金は 貸せません!!!」  

「そんなら、俺の机の引き出しを開けてみてくれ、そん中に先月のバイト代で6万円入ってる筈や!!!  それを送ってくれ」   

「ちょっと待っとき、今見てきたるわ。・・・(しばし沈黙)・・・ あかんわ、そんなお金 どーこにもあれへんわ」  

「うそつけ!!! 2段目やぞ 2段目!!! ある筈や!!」   

「ぜーんぶ 見たけど そんなん あらへんわー」  

「なんでやね!! そんな嘘ついてまで行かせたくないんか!!! もうええわ  もうしらん!! もうお前のことは親とは思わん!!(ガチャ)」

これは、幾度かの電話のうち 私が実際に隣で見ていた一部始終である。 

親おもう心に勝る親心かな。

結局にっちもさっちもどうにもいかなくなった彼に私がなけなしの$450を貸して、 なんとか申し込みをすることが出来た。 時に9月20日。  

ただ、北京から北朝鮮へは飛行機でなく列車で出入国したいというこちら側の希望は、 規則なので帰りだけならということにされてしまった。 平壌発北京行きの列車が週に3本しかないということと、 ビザ発給まで2週間待たなければいけないこと、我々の時間が限られていること、 そんなことを考慮すると、出発日は自動的に10月5日と決まった。  

これはまことに余談だが、北京発平壌行きの列車も当然あるわけで、それに乗ると
「え"ー 次は ピョンヤンー あ ピヨンヤンー え 終点でぇーございます。
え おわすれもののぉ ないように あ ごちゅういください・・・」
というアナウンスがあるとかないとか (無い)  

さて、出発の日時が決まったのは良いのだが、その際たいへん悔しいことがあった。
一九九八年九月九日というのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下 共和国)建国五〇周年という栄えある日で、 偉大な首領様金日成主席のお導きのもと、世界に冠する共和国建国宣言を高らかにうたいあげた日であったわけだ。

そして九月いっぱい 平壌市内で数十万人規模のパレードと、スタジアム内では数万人規模の"マスゲーム" が行われていたらしい。一九八八年に、あの”金丸 信が見て涙を流した”という伝説の世界最高のマスゲームを、 あとほんの数日早く申し込んでいれば、この目で見られたというのに。  

「金日成のパレード」というビデオに40周年の時の様子が克明に映されている。

皆さんには是非是非見ていただきたい。色んな意味で感動する。
特にパレードとマスゲームの緊張感は素晴らしい。
数万人の人間が一糸乱れぬ統率のもとに動く恐ろしさ。
自由を知った人間には絶対出来ないであろう動き。

 

これまた余談だが、帰国してから東京で歌舞伎を見る機会があった。
これが心の底からツマラなかった。 舞台役者のくせに声は張らないし、台詞のない端役の気が抜けているのがありあり、動きもバラバラ。
客も3〜4割は寝ているし、勘九郎・玉三郎などの「一流」の人が出てる筈なのに、 人民兵のいた三階席までオーラともいうべきものが届いてこない。

ただ、どっかのテレビで見た顔がそこにいるだけ。
計四幕、四時間少しの幕がおりた途端、驚いたのは 半分以上の客がさっと立ち上がり、 混雑を避けようと階段入り口に駆け寄ったこと。

「こんなつまらないモノを見て、有料入場客は納得してるんだろうか?」

という疑問はその時氷解した。大半の客が非常出口に殺到したその光景は、 良い客が良い芝居を見たあとの動きでは決してなかったからだ。

(一見 実力の世界に見えるけど、名前だけで食っていける甘い世襲の世界というのは、こんなモノか。
それにしても 二五〇〇円返せ)と思いながら歌舞伎座をあとにした。  

1000円払えば観られる新世界(大阪)の旅一座の芝居小屋 (なんと 狂言や、歌と踊りの豪華歌謡ショーなど 5〜6時間もやってくれる) は少なくとも、もう少し客と真剣勝負している。

あんまし旅と関係ない。あまりにも日本の伝統芸能が情けなかったので少し嘆いてみた。
マスゲームはその壮麗さだけとったら、日本の人間国宝が束になっても足下にも及ばない、ような気がする。
何度も言うが、大きなビデオ屋に置いてあると思うので、是非御一見ください。


 

さて、農沢君の話しに戻ろう

なんとかお金は払い込んだものの、ここからが大変だった。
そもそも北朝鮮のなかでどんな買い物が出来るのか分からない。
大金を払っている手前、当然 ガイド代、交通費、食事、ホテル代などは含まれているのだが、
やはり手紙も書きたい、国際電話なんて出来るんだろうか?ガイドに洋酒を渡したら自由行動させてくれるらしいぞ。
何かの際に秘密警察とかに捕まったら、やはり賄賂が決め手になるんだろうか?・・・ 

金はいくらあっても安心できない  

日程が決まればダラダラしていても仕方ないので、出発までの2週間 私は一人で中国の東北地方を旅することにした。 吉林、長春、審陽、ハルビン、撫順と、旧満州帝國の国務院を訪ねたり、731部隊の跡地を巡ったりと、 貧乏なまでも念願かなった楽しい日々を過ごせた。
もちろん旅すれば旅するほど中国を嫌いになったのは言うまでもない。(中国の話はこちら)  

悲惨なのは農沢君である
モンゴルの旅を満喫し、人民兵にさえ会わなければあとは帰路につくだけの筈だった農沢君。
ビザ待ち時間に旅をしている余裕などあるはずもない。
その上、北京では格安とはいえ、一泊30元(約450円)のホテルに泊まっているので、
これ以上一銭も余分に使うことが出来ない。
彼の手元には実際、ほとんど金は残っていなかった。

中国東北部を巡って後、2週間後北京に戻ってきた私を、幾分こけた頬の彼が迎えてくれた。 
彼曰く その間2週間ベッドの上からほとんど動かなかったそうだ

「朝、1元(15円)でワンタン食べるんでしょ、腹へらんように寝転んどくんですよ。 夕方くらいになったら近くの一元で3つ食える肉まんか、たまに贅沢して3元の卵チャーハン食べるんですよ。 たまに誰かが憐れんで飯を奢ってくれるんで なんとか今日まで生きてこられましたよ。」  

しかし私とて先の長い身上。彼に飯を食わせる余裕などあるはずもなく、 3日後にせまった出発を前に、残りの日々をどのように消化するか話し合った。結果として、


私も寝たきりになるという選択肢を選んだ


彼と私はよく、20人以上入れる大部屋のベッドの下を漁り

「あ、森本さん!!! リンゴを拾っちゃいましたよ!!」

「おい、農沢君!! こっちには食べかけのビスケットがあるぞ!!」

「ねぇ 森本さん、このあめ玉 食べられますかね?」

などとやってホームレスのように細々と暮らしていた。 驚いたことに、毎日隅から隅まで、少しでも食えそうなものを拾い尽くしている筈なのに、 翌日になるとまたなにかしら食べ物が見つかるのであった。

我々はその「戦利品」をいつも必ず仲良く半分こにして、それら全てをなんの躊躇もなく口に運んだ。
こういうのを原始共産社会というのかもしれない。

ちょうど時期的にも大勢の日本人学生が、北京経由で引き上げてゆく頃だったので、
余り物を頂いたりもして我々は残りの日々をなんとか生き延びることができた。  

出発前夜 我々は2元(30円)のビールで祝杯をあげた。 ここに書ききれないくらいの様々な困難を乗り越えた二人の若僧の笑顔は、 きっととってもとっても格好良かったんだとおもう(反論うけつけません)。

おりゃ北朝鮮さいくみゃー、おりゃも行くみゃー
*北京の空港で野宿する二人、明日は憧れの北朝鮮。興奮でなかなか眠れなかった

その晩 ミスター北朝鮮こと金社長と、二人の小学生の息子さんに送られて北京空港で野宿した。 明日の昼には平壌かとおもうとなかなか寝付けない。  

ここで、また話が前後するが、この項は農沢君のものなので・・・先に結末を。

我々が北朝鮮を出て中国がわ国境の町、丹東に着いたのは10月8日の夕刻だった。
ここからは韓国の仁川へのフェリーが出ている。

一泊10元(150円)くらいの宿に2泊して、別れの朝がやってきた。
農沢君は韓国経由で日本へ帰る決心をしたようだ。
二人で計算すると彼の所持金は
中国(丹東)から韓国(仁川)、釜山(韓国)から下関(日本)
までの2回のフェリー代をのぞいて数十$しかなかった。

「君も前途多難だと思うけど、頑張ってくれ。」固く握手して別れた。
私のひいき目か、2ヶ月前にモンゴルで会ったときよりずっと男らしく見えた。  

帰国後に農沢君と会って話を聞いた。
「いやー韓国は全部ヒッチハイクで行きました。ソウルで日本料理屋に雇ってくれと頼んだんですが、
めちゃめちゃあっさり断られました。ソウルの公園でした野宿は寒かったです。
でも、ヒッチハイクで乗せてくれた人が飯を奢ってくれたり、家に泊めてくれたりしたんでホント助かりました。
で、釜山から下関までのフェリー代払ったら、805円(この値段には自信がない)しか残らんかったんですよ。
それで僕、山口県の秋芳洞に行ったんですよね。そしたらぴったり入場料800円で、 残り5円だけ持ってヒッチハイクで実家のある奈良まで帰りました。疲れましたよ・・・。」  

農沢君お疲れさま。


  




   







Copyright (C) 2001-2003 人民兵
Any Questions: webmaster@jinminhei.com
初版:2001年11月31日、