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モンゴルからの手紙

-- Love Letter From Mongolia --


1998年秋、人民兵の在籍していた神戸人民大学の友人N君の家に一通の手紙が舞い込んできた。

期間も行き先も決まっていないバックパックの旅で、自分の行動を友人知人に一括して報告しておく方法として、 あらかじめ重要なメールアドレスだけをまとめてN君に預けておいた。考えてみたら無茶苦茶な話だが、 解読不能なまでに殴り書きされた10枚ほどの手紙を「事後承諾」の形で彼に送りつけた。

結局、旅先から届いた人民兵の手紙を友人がタイプし直して、 メールで発信するという形で「旅通信」は始まった。 N君含めてひまな時間のありそうな 4人の人間に 合計5回に渡って「事後承諾」の形で手紙を送りつけたことになる。

ま、とにかくこの企画はここから始まったので・・・ 少々難があるかもしれないが、この部分だけは基本的に当時の手紙を そのまま掲載してみることにした

 注)2002年も更けようとしている今、これらを冷静に読み返してみると
      こんな欺瞞に満ちた文章をよくぞ勝手に送りつけたものだと感心(?)しました。
     これを「常識的」なものに手直ししようか悩んだんですが、旅先から直接
      届いた臨場感と先行きのわからない不安が見え隠れして、それはそれで
      面白いのではないかと思っています。




モンゴルの絵葉書
モンゴルからの絵葉書です

こんにちは。なるすえ(仮名)です。

森本=人民兵から来た手紙をメールに直し、転送します。

今回の手紙には、"にせものの手紙"、"ほんものの手紙"、および "万里の長城の絵はがき"が入っておりました。
なお、手紙が長編におよぶため2回に分けて送付します。
悪しからずご了承下さい。

なお、今後このようなメールが必要のない方はその旨をご連絡下さい。
最後に、メール変換作業を半分以上手伝ってくれた新井(仮名)に感謝。 以上。



偽物の手紙(途中放棄)

わけあって成末君に代筆をお願いしました。みなさんの健康と平和を祈ってます。

皆様、お久しぶりです。 何故か旅の間日本人とばかり出会い、日本語に辟易してい る人民兵です。 更に、今滞在しているウランバートルでは幸か不幸か日本人宿に来てし まい日本文化の渦・・・。 

今回の旅は特に期限を決めずに出発したのですが、日本を離れて3年 という仙人のような輩や、ユーラシア大陸を一周している人などと出会い、自分に許 された時間、予算の無さをかみしめています。
実現するかどうかはともかく、モンゴルに来てはじめて、日本を引きはらって自分の求める国に住んでみてもいいな、などと半ば 真剣に思いました。
もしその時がくれば、これを読んでいるうちで誰か、大阪の我が文化住宅を引きはらって 下さい。
多分、現金、有価証券等なんかで20万円くらいはある筈ですので、宜しくお願いします。

今日は8/19。旅に出て十日が経ちました。 
尤も半分の5泊は列車の中で食っちゃ寝ぇーしてたので実質6日くらいでしょうか? 
正直、「国を出て自分がどう変わるか、どのようにうたれてどのように響くか?」 
を知りたいというのが長年の疑問でした。 
しかし、あっけなく氷解。 何にも変わりません。 "自分は自分でしかない" これははっきり悟りました。 
あとは単に好奇心の問題、気力、体力、金の運が続くまでふらつこうと思っています。  

さて、ここウランバートルは1000人を超える下水管チルドレンで有名な都市(本当 に下水管の中に住む)。 治安は悪いと聞いてましたが、全くそんなことはありません。



本物の手紙(前半)・・・


お久しぶり。 人民兵です。 モスクワに飛んだあの夏の日から一月以上が経ちました 。 友人知人に少しずつ手紙を出してきたつもりですが(届いてない人ゴメンなさい)、 こ こでまとめて近況報告したいと思います。 色々な文体にチャレンジしたんですが、この書き方に落ちついたんで 、エッセイ風に筆をすすめたいと思います。 なにぶん書き下ろしなもんで、多々読み づらい点はご容赦下さい。 あとこの汚い字の手紙を皆様に打ち直してくれた方々(神大の成末君とか?)に感謝。


ロシアでの出来事

右側にはレーニンの死骸があります (*右の写真 モスクワ赤の広場
奥に見えるのがクレムリン、右側の小高いところにレーニンが雨ざらしで眠っています)

嫌な国です。
街を歩く人は誰も笑っていません。
大阪にあるロシア領事館で理由もなくいきなり怒鳴りつけられたりしてたので、
ある程度の覚悟はしてたんですが、ここまでひどいとは・・・。
ホテルのフロントでも(三ツ星なのに)目の前でチェッと舌打ちされたり、
何を必死で聞いても「ニェット(ダメ)」しか言わず あとは無視。
街ゆく人に道を尋ねてもほとんどの人はこちらを向いてさえくれません。

 「エクスキューズミー エクスキューズミー!!」
と必死に訴えかけて、肩を叩いたり揺らしたりしても目を合わせることすらなく、
50センチの距離でひたすら無視されます。
一事が万事こんな感じで、対人恐怖症を発病していまいました。
たまりかねてロシア1号店の"マクド"に行ったんですが、 十人近くいるカウンターの女の子は誰一人笑っていませんでした。 
長い行列を待って、ようやく注文までこぎつけました。
腕組みしながら、明らかにこちらを見下しているカウンターの女の子に一番安そうなチーズバーガーを頼んだところ、 ビッグマックより高い値段を取られてしまいました。 

「笑顔のサービスもない上に、モスクワのマクドはぼったくりまですんのんかい!!」

と切れてみたのですが、鼻で笑われて終わりでした。
あとで確認した情報によると、モスクワではビッグマックが一番安いハン バーガーだったそうです。



西洋人についての考察・・・

一概に「西洋人」と引っ括ってしまうのは暴論だとも思うが、 彼らは年齢、性別に関係なく気軽に海外旅行にでかけるようだ。大陸で産まれ育ったからだろうか。 彼らの旅を見ているとそのスタイルに感心する。彼らは何処へ行っても小さなヨ ーロッパを形成する。非日常である筈の旅に"日常"を持ち込むことの上手さは凄い 。我々の様な日本人貧乏旅行者と違い、彼らは驚くほど溶け込まない。いくら高くて も、朝はコーヒーを飲み、パンにジャムを塗る。どこからともなくオイルサーディン だの、オートミールだのを見つけだしてくる。あやしいもの、見知らぬものは口にし ないし、地元の食堂に姿を見かけることもない。

世界中の食材を口にすることが旅の目的の一つであり、何より一銭でも安い方に流 れがちな私からすると彼らがいい旅をしているかどうかは別として、"疲れない"旅 の方法をとっているのは間違いない。

あと、これも日本にない習慣と思うが、かれらはよく写真を持っている。皆で見て いるので「旅先の写真かな?」と思いのぞき込むと「ヘイ!!これが俺の彼女だ。こ っちが両親。 えっ?牛を飼っているよ」などと言っている。 彼の卒業した大学やら、 通っている教会などあまり面白くもない(どうでもいい)。 しかしまわりの他国の西洋人とかは一枚一 枚結構熱心に見て「オゥ、ユーのシスターはナカナカビューティフルだ」などと言って 、見終えたら嬉しそうに「サンキュー」。 ま、社交辞令かもしれないが。 しかし、今回モンゴル で友人、知人がたくさんできたりして、自分が自国を紹介する何も持たないことに気 付く。 彼らに日本の風景や歴史、名所を見せてあげられる本の一冊でも持っておくべ きだった。 これは祖国を離れて今回初めて気付いた。



恐怖について・・・

(*写真左 クレムリンはこんな建物がいっぱい。
おとぎの国のようです。衛兵が怖いことを除いて・・・)

身のすくむ思いは2回した。一つはクレムリンで。
「ロシアの首脳が集まる、厳重な場所」
というのは知っていたのだが、いざ行ってみるとお伽の国だった。 
玉ねぎをねじった様な宮殿や、ロシア正教会の大小の鐘々、金色に輝くそれらを見ているうち に警戒心など微塵も薄れ、立入禁止に3度も入ってしまった。
その都度 「ピー」とホイッスルを鳴らされてはいたが、3度目にまわり道の面倒さに芝生を歩いたとき、 走ってきた衛兵の目の恐ろしかったこと!!「絶対に殺される!!」と思い真剣に逃げた。
逃げなかったらほぼ間違いなくしばかれていただろう。

もう一度はウランバートルで。 
モンゴル人の友人を待っている間、ひどい頭痛で道路にしゃがみこんでいた。
警官が何か言ってきたが、身振りで
「俺は頭痛い。友達待っている」と伝え、無視していると、いきなり二人の警官が俺の両脇を抱えどこかに 連れていこうとした。

「ノー ノー アイム ジャパニーズ!! プリーズ プリーズ ストップ!!」
と大声で叫んで暴れたが、ものすごい力でそのまま20メートルほど引きずられた。
  丁度友人が来て事なきをえたが、聞くところによると、酔っ払いと間違えドランクセンターに運ばれるところだったらしい。
モンゴルの若者は真冬にそこでバケツ一杯の水をかけられ、人生のツラさを知るそうだ。
しかしあの警官の眼は真剣に恐かった。
言葉の通じない奴達に力づくで連行されるほど恐ろしいことはない。



シベリア鉄道でできることできないこと・・・

シベリア超特急(通称、シベ超)という水野晴朗監督の映画や、友人の話などで非 常に危険な、陰鬱なイメージを抱いていたが、車内は快適そのもの、拍子抜けした。

ある本には"3人組の女が私に睡眠薬の入ったウォッカを飲ませようとして・・・" というくだりがあり、丁度人民女子挺身部の女性にふられた直後だったのでひっかかる自身は120%あったが幸か 不幸かそんなことは全くおきなかった。

停車駅では地元のおばちゃんが作ったピロシキや 料理を売りに来て、しかも必死なので、車外に出るとちょっとしたヒーローになる。 丁度、ビートルズ来日のときの「一万分の一」くらいだと思ってもらいたい。 失神するほどは喜んでくれないものの、生活が懸っているという必死さは伝わってくる。 ディル(香草の一種)とバターで和えたジャガイモがすごく美味しかった。

唯一残念だったのは停車時間が短いこと。ウランバートルまで5泊6日もかかるの に、たまに停まる駅の停車時間は10〜25分くらいと短い。 運行時間はメチャメチャ正確。 こ れは驚いた。何らかの理由でモスクワ発が1時間半ほど遅れたが、事前にホテルに通 知があり、掲示も行われていたようで、それも一日しないうちに遅れを取り戻していた。  

「世界一透明度の高い(40m)バイカル湖で泳ぐ」ことを一つの目的としていた 私はあまりの正確さにと停車時間の短さに恐れおののき、その夢は一時断念した。 しかしバイカル湖ほとりの駅(イルクーツクの東) に朝6時に15分だけ停まることを知り、湖までどのくらい離れているかもわからな いが、とりあえず走ってみることにした。正確なはずの列車がその時だけ何故か15 分前に着き、海パンも用意しないまま、マスクとシュノーケルだけ持って飛び出した 。車掌が腕時計を指差して追いかけてきたが、そんなものは気にしてられない。

200m程行ったとこに汚いデカイ水たまりがあった。懐かしいアメリカザリガニの匂いがする。 一瞬やめようかと思ったが、気をとりなおして潜ってみた。

「きたねー」

ほとんど何も見えない。泥のなかに自分の指が辛うじて見えた。 湖というより沼といったかんじ。 どうやら街の傍にあって、湾内の止水でよどんでいる様で・ ・・人民兵の夢はもろくも崩れ去った。

バイカル湖:推定透明度 1メートル20センチ 


ところが、人生なにが幸いするかわからないもので、ビショぬれのパンツとシャツで列車に戻ってきた私は何故かヒーロー になった。 隣室のオランダ人などには「あなた夢をかなえたのよ、素敵ね!!」と言 って握手を求められたりした。 しかし翌日からは私の汚いコンパートメントを見ては 「お前は魚くさい、あー、バイカル、バイカル」などといじめられるようになった。


 〜後編に続く〜













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初版:2001年11月31日、