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はるばる来たぜ平壌

パリがなんぼのもんじゃい!!
*平壌の凱旋門、フランスのものより10メートル高いそうな

ようやく北朝鮮へ・・・  

北京空港から大連の空港を経て機体は平壌へ向かった。

飛行機が北京の空港を離陸したのはまだ早朝だった。途中、午前9時に大連を経由する。 もともと乗客は多くなかったが、ここで大部分の人が下船した。 半分以下(30人くらい?)になった機内。 この先に経由する場所がないということは、この30人は全て北朝鮮に行くわけだ。
そう思うと興味深々、乗客の様子を窺がってみる。 大半は中高年の男性で、日本人に比べて眉が薄く頬骨が出た、いわゆる「コリアン顔」の人が多いようだ。 みやげ物らしい箱や紙包みを持っているのはわかるが、我々を除く約9割の人間が大きな花束を抱えていた。 飛行機の搭乗客の大半が花束を抱えているのは、どこか奇妙な光景だった。

真下には穀倉地帯が広がる。 眼下に広がる田園地帯は区画整理こそされていないものの、 かなりの上空から見てもわかるほど手入れされており、よく実っていた。

「食料不足」のイメージが強かったので、これは少し意外だった。 北朝鮮入国後、どこへ行っても黄金色の稲穂が実っているのを見て、
「作物がよく実っていますね。」と感想を述べると
「今年は全国民をあげて農業にとりくみましたから」とガイドの金さん(40代女性)は胸をはった。

しかし、平地を除くと首都近郊の棚田や段々畑などはよいのだが、 郊外に出るにつれ 山を丸々裸にして斜面に直接畝を作っているのが目についた。 私の目から見ても天災に対して無防備なのが丸わかりだ。 「こんなことしてたら、一度の雨風が吹いただけで 全ての収穫が流されてしまいますよ、 農業政策の根本からの見直しをした方がよいのではないですか」と金さんに伝えたかったがどうにも言えなかった。 金さんは逆に、日本では刈り入れにどんな機械を使うのか、そのコンバインとやらはそんなに便利なのか・・・ と日本の農業に興味深々の様子だった。

日本に戻ってからテレビで「今年の北朝鮮は作物の出来がよく 食糧事情も改善されそうだ」と見た。 きっとそうだろう。ただ、軍人指導のもと2〜30人の小学生達が田んぼに一列になって、 稲を刈り取っているのを見たときは「ほお 全国民がなあ」とつぶやいてしまった。

(*写真右: これも革命の銅像、こういったものが無数にある*)

網目の様に道路が伸びているが、車が全く走っていない。 あれあれと思っていると、まだ12時を30分ほど回ったところなのに機体の高度が下がり始めた。 平壌着は2時の予定だったはずだが・・・ しまった・・・ 北京と時差が1時間あるのを忘れていた。 

実った稲がはっきり見えるくらいになっても、道には車、人ともに全く見えない。
「とても恐ろしいとこに来てしまったんではないか?」
そんなことを考えているうちにも、高度はぐんぐんと下がってくる。 眼下の稲穂が手で掴めそうな距離に見えた。 あわや田圃に突っ込むか という時に滑走路が現れ、なんとか無事に着陸。
平壌のだだっ広い空港に 他の機体が全然ないことがまた恐い。
我々を出迎えてくれたのは空港にデカデカと掲げられた金日成の肖像画。
写真はダメとのことで涙をのむ。いよいよ平壌上陸。

日程について・・・

ここで共和国(北朝鮮)での行動のタイムテーブルを先に示しておく。 本来このコースは、我々が払ったよりも200ドル以上高い4泊5日のコースをはしょったもので、 少人数で小回りが利くだろうと 無理に3泊4日にアレンジしてもらったものだ。
妙高山、開城(板門店)と北朝鮮観光のメインが2つも入っている。

因みに日本から共和国へは不定期のチャーター便が名古屋空港から飛んでいて、 国際旅行社という旅行会社が取り仕切っていたこともここに記しておく。
"・・・いた"と過去形で結んだのは、先日のテポドンの一件で
「日本政府が一方的に共和国の飛行機乗り入れを禁止(ガイドの金さん談)」したために、 経営に大打撃を受けた国際旅行社が倒産するのではないか?  という話を聴いていたからである。まだ真偽のほどは確かめていない。 その際の参加費は 一人約30万円とのことである。

もしもその方法で北朝鮮に行ったとしたら また違ったものを感じたのかもしれないとは思う。
しかし、私が行ったときには 既に数少ない直行便も廃止されていたし、 大人数でがんじがらめにバスで移動させられたより、私はずっとたくさんのものを見られたのではないかと思っている。 後述する川での水泳などは、その最たるものだろう。

  
   初日  午後 平壌着、車にて市内観光(主体思想塔、凱旋門)
          150キロ北上 妙高山ホテルに宿泊
   2日目 午前 仏教寺院 普賢寺見学、妙高山国際親善展覧館見学
       午後 平壌市内に戻る、万景大学生少年宮殿見学
       夜  玉流館にて平壌冷麺の夕食
   3日目 午前 22mの金日成像に献花、150キロ南下 開城市へ
          市内遺跡参観(高麗博物館、善竹橋)
       午後 板門店
       夕刻 サーカス見学   焼き肉パーティ
   4日目 地下鉄で平壌駅へ 北京行き(丹東下車)の列車に乗る
 
  ざっとこんな感じで、北京の金社長が頭をひねって考えてくれたものだ。 


ガイドについて・・・・

今回旅に参加したのは私と、モンゴルで知りあった農沢君(仮名)18歳。
満面の笑顔で出迎えてくれたのはガイドの二人、40代女性の金(キム)さんと20代男性の閔(ミン)さん。
たった二人の旅にガイドが二人も来るとは、全く予想だにしていなかった。

「ガイドとボディガードと称して秘密警察がどこにでもくっついてくる。
しかし$10わたすと1〜2時間消えてくれる」


日本でそう学んでいた私は少し拍子ぬけした。
もちろん"監視"の面も多々あったと思うが、二人とも非常に人間的で、 "金を出せば消える"雰囲気などまるでなく、本当に誠心誠意、こちらが満足できるようにサービスしてくれた。
北朝鮮で十数年もガイドをしている金さんが「聞いたことがない」という北朝鮮の河での水泳も、 夜の散歩も、地下鉄に乗ることも、人民服を買うことも、断ることは簡単なのに、 いつも必死に問い合わせをくり返し、無理をきいてくれた。

思想はともあれ、二人とも尊敬できる人物だったと思う。
閔さんの日本語は少したどたどしいが、金さんのそれはほぼ完璧だった。
平壌外語大で日本語を専攻し、その時の教師は噂の"日本人妻"だったそうだ。

「金正日総書記は文学・芸術等にたいへん深い造詣をおもちでいらっしゃいます」
などときいた時は日本のハナタレガキに聞かせてあげたかった。



市内観光

何にもない空港を出た。入国、出国の審査は意外とすんなり通る。なんだ、アメリカより簡単じゃないか。
ガイド二人と自己紹介を終えた後、笑顔のチャーミングなオジサンを紹介された。
今年で54歳になる彼が、これから4日間我々の運転手をしてくれるという。 たった二人の旅に案内が三人・・・ これにはちょっと呆れてしまった。

案内された車は日産の1BOX、ちなみに運転手は日本語を全く知らないらしい。
ただ、時折みせる表情から、私はわからないふりをしていただけではないかとみている。

車が走り出した。道路はメチャメチャいい。
対向車含め、車は殆ど通っていない。道沿いに人民がたくさん歩いていた。 それだけでも感動する。
「北朝鮮の人民だ!人民だ!」と農沢君と一緒になって興奮しているとカメラについての注意をうけた。
「自然、風景、建物、ステージなどは自由にとってもらっていいです。
ただ、人物、特に軍人さんは撮らないで下さい。 あとは特に汚いところを除いて、カメラを使って頂いてけっこうです。」
「ホンマかいな?」
と思っていたが、本当だった。 カメラ使用禁止の博物館などを除き写真をとりまくった。 板門店への道でカムフラージュされた数台の戦車を撮った時でさえおとがめはなかった。 普段の旅でカメラを使わない人民兵が3泊4日で36枚×6本をとりきった。

主体(チュチェ)思想塔にゆく。高さ170メートルの巨大な塔。 金日成70歳を祝して 25550個(つまり365日×70年、何故かうるう年は考慮されていない) のブロックを積み上げて作られているらしい。飾りの花のレリーフは70個、 共和国(北朝鮮のこと)の人はこういった数字でのゲンかつぎが大好きだ。

*チュチェ思想塔から見える平壌市内。夢のようだ*
チュチェ思想塔の展望台より。後ろに見えるのが柳京ホテル(作りかけ)

近寄るとあらためてその凄さがわかる。塔の上部は高さ20メートルの炎を型どってあり、 ライトアップされた夜は、その炎がちゃんとゆらめくように出来ている。

側を流れる大同江には噴水が設置されており、休日には150メートル(!!)の高さまで吹き上がる。
朝鮮労働党のシンボル農民、労働者、インテリがそれぞれカマ、ハンマー、筆を空中でクロスさせている像(またバカデカイ)などにも圧倒される。 石で組まれたその塔の存在感は東京タワーの比ではない。150メートルの位置に展望台もある。

因みに主体(チュチェ)思想というのは「革命と建設の主人公は人民大衆である」という素晴らしい思想だが、 何故か故金日成主席の生まれた1912年をチュチェ元年と定めて年号をつけているあたり、 単に人民統制に使われているようだ。
日本で言えば天皇制みたいなものか、ちなみに人民兵が平壌を訪れたのはチュチェ87年(1998年)。

続いて凱旋門に行った。これまた素晴らしい。
「ウーン」と唸ったまましばらく声もでない。
高さ60メートル、パリのよりも10メートル高いという。
パリのを見たわけではないが、規模、作りの細かさ、デザインの素晴らしさ、 全てにおいてけっして劣ってはいないと思う。 また、その真下で寝転んでもしばらくは車にひかれないのではないかと思うくらいの交通量の少なさが素晴らしい。

平壌子供宮殿前の銅像(?)なぜか空翔ける革命の戦士たち






一般交通機関について

平壌市内の限られた区域には地下鉄、路線バス、トロリーバス、市電が走っており、市民はそれを使っている。 それ以外は殆ど徒歩、平壌を中心に南北に約150kmづつくらい往復したが、 人々は何もないところから歩いてきて何もないところに歩いてゆく。

車はほんとに少ない。ヒッチハイクしている軍人も見かけたが、あまり止まってくれてないようだ。 車の絶対数が少ないからそれも当然か。

人はメチャメチャ歩く。我々が平壌に着いた10月5日が、ちょうど秋分だった様で、ガイドの方いわく
「共和国では秋分の日に親類一同集まってお墓の前でごちそうを食べます」とのこと。

餓死者を見れるんではないか? とすら期待していた私には全く意外。
しかも確かに家族らしき人々が墓のある郊外に歩いてゆく。数時間もかけて。

とそのとき運ちゃんが持ってきてくれたという、"秋分の日のごちそう"を出してくれた。
半月形の大福もちときなこもち、あげパン。

その後も三日の間に、この人はやれ共和国のリンゴだ、さつまいもだ、みかん餌だといろいろくれた。
どれもおいしかったが、きっと「運転手でもこんな差入れできるくらい人は幸せですよ」というプロパガンダなんだろう。 ガイドの方に会ってすぐに 「確かに共和国は何もない状況で一生懸命みな党を中心に頑張っています。」 そう伝えられた。
「そんなことを我々に言ってあなたは罰せられませんか?」ときくと一笑に付された。
そんなことを思いだす。



質問について・・・・

10年もの間憧れた国の事、今回の訪朝の前にも北朝鮮関係の本は日本でかなり読んでいた。
4日間の旅の中で、不思議なこと、腑に落ちないこと、気になることが山ほどあった。
しかし、聞けないことが多かった。

今でも ああ、聞いておくべきだったと思うことは山ほどある。 しかし、自分なりによく言葉を選び質問したものだと思う。
恐かったわけではない。ただ、ガイドの2人の方は、自分の祖国=北朝鮮を愛し、 金日成を師、父と仰ぎ、金正日総書記の指導のもと祖国復興に励もうとしている。

知性のある彼女達は留学経験もあり、祖国の誤ちに気付いていると思う。
国に戻って限られた、本当に限られた情報の中で、きっと現実と理想、思想の間で、 様々な葛藤を抱き、敢えて自分を信じさせる方向にもってきているのではないか。

自分の目前にいる人が尊敬しているという人物を、その人の前で扱き下ろせるだろうか。 たとえ、それが殺人鬼であったとしても、なかなかそういう訳にはいかない。 良いか悪いかは別の問題として。

何度も質問をうまくはぐらかされたり、さりげなく無視されたりした。
その反応、答えの中に潜んだ真実を読み取るのがこちらの勤めだと思う。
北朝鮮に滞在した四日間、一秒たりとも気を抜かずに呼吸し続けた。
毎日ぐったりするほど緊張して、それでも出来るだけ色んなことを吸収しようとした。

そして、ガイドの金さん、ミンさんに様々な疑問をぶつけた。
このQ&Aを振り返ってみると自分でも結構面白い。
言葉を選ぶため、韓国は南朝鮮になるし、北朝鮮は共和国になる。 金日成、金正日を呼びすてにはできず、 金日成主席、金正日総書記と呼ぶし、言葉使いにもかなり気をつかう。
例えばこういった感じになる。

「えーつかぬことをお伺いしますが、金正日総書記はですね、 その人物、知性、行動全てにおいて人々の尊敬を一身に集めておいでになる。 その権力、影響力ははかりしれないものがありますね。」

「ハイ」

「私どもからいたしますと、金正日総書記はですね、昔の皇帝のような、 そんな存在にも思われるわけなんです」

「そうかもしれないですね」

「そこでですね、えー、なんといいますか、昔の後宮にあたりますですね、 つまり、お妾さんでいらっしゃるとか、正妻以外の奥さまでいらっしゃるとか、 そういった方はおられるんでしょうか?」

「いえ、身のまわりの世話をなさる女中の方くらいはおられるかもしれませんが、そういった方はいないです。」

「あぁそうですか。」

亡命者などの情報では、金正日には「よろこばせ組」 という数十人以上の女性が夜な夜な相手をしている筈である。 これ一つ聞くのにここまで気を使わねばならない。後は推して知るべしである。

〜北朝鮮旅日記(前半)〜

                            



 







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初版:2001年11月31日、